明治26年頃大分八幡神社の社家から教わったのが始まりとされています。昭和10年頃に戦争で一時中断しましたが、昭和40年頃に復活し現在に至っています。平成25年には「子供神楽塾」を発足し、後継者育成を図るとともに、各イベントや奉納神楽に出演しています。本社は安浦神社です。
昭和32年、かつて行橋市にあった下正路神楽の講員が区の青年団に神楽を教えたのが始まりです。行橋市内外で神楽を奉納するなど盛んに活動しましたが、一時期中断となりました。平成9年神楽同好会として復活し、現在は他地域からの参加や女性の参加も可能で、自由な気風が特徴です。本社は須佐神社です。
明治7年に築上郡赤幡神楽から教えを受けることにより伝承されたとされます。昭和20年頃、戦争で講員が減少して存続が危ぶまれたため、女性に神楽が伝授された歴史を持っています。本社は英彦山の北方にあることからその名が付いたとも言われる北山神社。5月の春祭りと10月の秋祭り、元旦祭で神楽が奉納されます。
今井神楽講として、小原神楽の指導も受けながら昭和13年に活動を始めました。その後幾度かの中断を経て、平成16年に復活を目指して研修会として再び発足し、神社の祭礼をはじめ竣工式、文化祭、敬老会等で積極的に奉納しています。本社は今井の氏神である熊野神社です。
明治10年頃、大富神社の神職から氏子に伝えられたのが始まりです。その後、140年以上欠かすことなく、豊前市内各所の鎮守の杜で五穀豊穣を祝い喜びながら神楽を奉納し続けてきました。大晦日から元旦にかけての大富神社除夜祭では、隔年で湯立神楽を奉納しています。
明治7年に廃止になった旧豊前国の上毛郡の社家神楽が明治9年に伝承されたもので、18世紀初期以降の「岩戸神楽」の形態、演目が「式神楽」として大筋そのままの形で引き継がれています。現在、秋祭の際に、鎮守の杜で「五穀豊穣」「無病息災」等を祈願し奉納し、子ども神楽も活発に活動しています。本社は石清水八幡神社。
昭和3年の御大典記念行事を迎えるにあたり、岩屋地区でも神楽を奉納すべく岩屋神楽講を結成したのが始まりです。発足後、他地域の神楽団体とも積極的に交流を図り、絶えることなく舞われてきました。また、近郊の神楽の演目を取り入れるなど積極的に活動しています。本社は七社神社。
縁起によると、約1100年前から嘯吹(うそぶき)八幡神社の初山家に伝承されてきたといわれています。明治期に神職から氏子へと受け継がれ、現在の形態を整えました。嘯吹八幡神社の春の大祭である清原神事では、湯立神楽が奉納されます。近年は、子ども神楽にも積極的に取組んでいます。
江戸時代に社家神楽として奉納されていたとされています。明治中期から神幸祭や秋祭に神楽を奉納していましたが、戦時中の混乱により、中断を余儀なくされました。昭和23年頃に有志により神楽講が結成され、昭和48年に現在の中村神楽保存会が発足しました。また、中村子ども神楽としても市内のイベントや文化祭などで神楽を披露し、一般市民に親しまれています。本社は角田八幡神社です。
明治10年頃、神職の高橋氏の指導により発足されたとされています。伝承される鬼面の一つは、現存する豊前の神楽面で最も古いとされています。伝統を守りながらも、創作神楽を取り入れるなど、意欲的に神楽の発展に取組んでいます。本社は春日神社です。
昭和54年の地元の春祭りで、青年団が中心となり創作神楽(綱引き神楽)を舞ったことをきっかけに、衣装や蛇を手作りし、毎年のように祭りで創作神楽を舞うようになりました。その後、町、区民の皆様からの支援を得て神楽団を結成し、今では島根県の神楽団とも交流を持ちながら、本格的な神楽団(京築石見神楽)を目指して活動しています。本社は、菅原神社です。
昭和37年に神楽を奉納したのを最後に中断していましたが、平成15年に扇谷神楽(みやこ町)の指導により復活。今では神社での奉納や地域の行事に参加するなど、地域の方々に愛されるよう活動に励んでいます。後継者の育成にも励み、基本に忠実であることを心がけています。
平成17年に新津地区の活性化を図るために、独学で神楽を始めました。大原八幡神社に残されていた面を使い、創作神楽として活動を進めるとともに、新津地区で明治時代に途絶えたといわれている獅子舞を取り入れ、新しい神楽として伝統を継承していくことを目指しています。本社は大原八幡神社です。
赤幡神楽の流れをくむ神楽で、自然の恵みを願い「雨乞いには欠かせない」神楽としても親しまれています。戦後、一時期途絶えましたが地元の有志により復活。昭和50年に保存会が発足し、舞い手も観衆も楽しめる神楽を目指し、地域と共にある神楽として広く親しまれています。本社は若宮八幡神社です。
明治29年、当時の上伊良原村の中村集落の若者により赤幡流直伝とされる、松丸神楽(築上町)を習得して、高木神社奏楽社として発足したのが始まりで、記録に残る神楽としては町内最古。過疎化により講員が減少したため、保存会を結成し再出発。現在は活発な活動を続けています。本社は高木神社です。
光冨神楽は明治35年前後に、赤幡神楽を伝承して始まったとされています。途中、講員の減少により中断が2度ありましたが、昭和56年頃、有志により神楽保存会が結成されました。今では、本社である徳矢神社の春祭で奉納しているほか、様々なイベントに参加し、幅広く活動しています。
大正14年、蔵持神楽(みやこ町)の出水氏から奏楽を習ったのが始まりとされ、昭和2年に上高屋神楽講が発足しました。戦争により、講員が減少しましたが、30年ほど前から小学生に神楽を伝授するようになり、平成5年には上高屋神楽保存会に改称しました。基本を忠実に守ることにより、伝統的な神楽を舞っています。本社は橘八幡神社です。
大正12年、大山衹神社に新たな神輿が奉納されたのを機に、松丸神楽の中川氏を招いて習得したのが始まりです。戦中・戦後の2度中断しましたが、昭和55年鐙畑小学校の百周年の際、行事の一環として舞ったことをきっかけに、鐙畑神楽保存会が復活。激しい動きが特徴の舞となっています。
築上郡史によると江戸・安政年間が起源とされおり、豊前地方でも古くからの歴史を持つ神楽です。戦後一時途絶えましたが、平成に入り、元講員の指導のもと復興を成し遂げました。地元の壷神社、八幡古表神社のほか町内外での神楽奉納や、各施設等への慰問も積極的に行っています。また、神楽教室を開き後継者育成、継承にも努めています。
平成5年に地元の神楽好きの若者が集い、練習を開始し、平成11年に吉富神楽として旗揚げしました。京築神楽のなかでは最も新しい神楽講ですが、勇壮で見応えのある舞を心がけ、日々修練を重ねています。観客に感動と思い出を残すことができるような神楽講を目指し、取組んでいます。
明治30年代後半に「佐知の佐助」こと広沢松次郎氏を師匠として、下唐原貴船神社の氏子の若者により組織されました。現在は「唐原子供神楽」も結成し、貴船神社への奉納のほか、地域の行事でも精力的に活動しています。
明治20年頃、「佐知の佐助」こと広沢松次郎氏から上毛町の東上・八坂神社の氏子に伝えられたのが始まりです。現在は、吉富町や中津市まで活動の範囲を広げ、子ども神楽の指導をするなど、神楽の保存や後継者の育成に努めています。
上毛町成恒には明治10年代から矢幡社家に伝わる神楽が存在したとされています。昭和10年頃まで舞われていましたが、後継者不足により中断。現在の神楽講は、昭和55年に地元有志により結成されたものです。成恒・吉富神社を本社とし、「御先」に代表される華やかで力強い舞が特徴です。
鎌倉初期頃から明治初期まで旧築城郡十六社家の神官により神楽が舞われ、各神社の祭礼で奉納されていました。明治に入り、神職の神楽が禁じられたのを憂い(神職演舞禁止令)、神職が赤幡八幡神社の氏子に伝授を依頼したのが始まりです。伝統と格式を重んじた神楽です。
昭和29年に鬼の衣装と神楽面を寄贈されたのを契機に、扇谷神楽(みやこ町)から貴船神社の氏子に伝えられ、奉納されるようになったのが始まりです。子どもの頃に参加していた若い世代の勧誘にも努め、地域をあげて神楽の継承に努めています。
岩丸神楽の起源は、一説には平安時代まで遡るとも伝えられています。戦時中、講員不足により中断しましたが、昭和21年に地元の青年が集まり、岩丸神楽講として復活し、アレンジを加えながら、見る人を楽しませることを優先した神楽が特徴です。
明治初期、岩戸見神社宮司より伝承され、代々受け継がれており、現在は地元の小学校の児童にも授業の一環として定期的に神楽を指導しています。小原神楽の囃子は多くの節回しと組み合わせを持っているのが特徴です。初代の舞い方からほぼ忠実に伝わっており、格調高いものとなっています。本社は小原正八幡神社です。
江戸時代の寛文5年(1665年)に神職が鎮火祭を始めたことが起源であるとされています。明治中期に岩戸見神社宮司により直伝され、一度も絶えることなく奉納されています。昔は舞い方、囃子方共に、世襲制により受け継がれていましたが、昭和43年、氏子であれば誰でも舞えるよう改められ、宮司らを中心に神楽講が発足しました。本社は山霊神社です。
明治維新後、当時、宮司だった熊谷氏が神官とともに氏子に神楽を伝授し、これが今日の築上町に伝わる神楽の礎となっています。伝法寺神楽は伝承して以来、中断することなく現在まで続いています。現在は、本社である岩戸見神社への奉納の他にも、神幸祭での奉納にも応じています。
明治初期まで旧築城郡十六社家によって構成され、各神社で奉納されてきました。戦後、地元の青年団により復活し、若者が中心となって継承されてきました。奉納神楽のほか、町内各地のイベントにも積極的に参加しています。本社は金富神社です。